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誕生の地〔リンク
出生については、駿河の山本、三河の牛窪、三河の賀茂、近江の山本など諸説がある。駿河の山本説が一番有力で、静岡県富士宮山本地区には、吉野家の末裔の旧家があり、そのそばにある誕生の碑には、吉野貞幸(後に山本氏)の子として生まれ、12歳のときに三河牛窪(豊川市牛久保)の大林勘左衛門の養子となったと記されている。蛇足だが、後に大林勘左衛門に実子が生まれたため、家を出て山本姓を名乗ったと言われている。
医王寺〔リンク
昔勘助の生家の吉野家の領地であったと思われる医王寺に、勘助と勘助の祖父の供養塔がある。
宗泉院〔リンク
韮崎市穴山バス停から南、円野町上円井の山の中に、勘助の供養塔のある宗泉院がある。このあたり一帯が勘助の領地であったので、勘助が亡くなった時に、住民と寺が相談して供養塔を作ったと言う伝承がある。
山本家屋敷〔リンク
北杜市高根町小池中蔵原地区に山本勘助屋敷跡があります。現在も末裔の方が住んでおられ、先祖代々の墓や勘助の位牌などが祭られています。
胴合橋〔リンク〕・勘助の墓〔リンク
川中島の合戦で戦死した勘助の亡骸を捜し、それらしき首を集めたが、汚れていたので判別できないため、探し出した胴体と照らし合わせてぴったりと合ったので、胴合橋と名づけた場所が八幡原史跡公園の南松代大橋の近くに有る。現在は、その亡骸を葬った墓が更科橋の袂にある。
海津城・小諸城・高遠城
山本勘助が築城・改修を行ったのがこの三つの城と言われている。


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