ホームページ | 地域別インデックス | 山梨のハイキング|共同空室情報 | ペンション検索

 
 
御射山(みさやま)〔リンク
晴信が諏訪上原城を攻略するときに、陣を引いた。
上原城リンク〕・桑原城リンク
諏訪頼重は上原城で武田と対峙したが、城を焼いて桑原城に引いた。武田の調略により和睦を結ぶも、後に切腹させられる。
葛笠村リンク
ドラマで勘助がミツと出会った村。実在するかどうかは不明だが、南部町辺りとする説もある。また、南部町の万沢口から東の静岡県稲子のほうに行った県境に葛谷峠がある
万沢口リンク
晴信が信虎を今川へ追い返したところといわれており、番所跡の看板がある。
海ノ口城リンク
晴信の初陣といわれ、信虎が佐久平賀城主平賀源心入道成頼ら二千が立てこもる海ノ口城を攻めるも攻めあぐね撤退する折、晴信がしんがりを申し出、城方が油断して兵を引いた隙に、引返して攻め落としたといわれる。
三方ヶ原リンク
元亀3(1572)年10月信玄は上洛のため伊奈から遠江に進出し12月末に三方ヶ原で家康軍を打ち破りました。三方ヶ原の古戦場は特定されてなく、唯一犀ケ崖に野営した武田軍の隙を突きがけ下に追い落としたとされる場所が知られているのみです。
長篠城
三方ヶ原で家康軍を破った信玄は、上洛を目指すものの、病に倒れ長篠城へ後退し、二ヶ月余り療養に努めるも回復せず、甲府へ帰る三州路で命を絶ちました。
若神子城リンク
信濃攻略への国境玄関として重要視され、佐久口・諏訪口方面からの狼煙集合・中継点としての機能も持った。武田晴信(信玄)による信州攻略戦では、天文十一(1542)年の伊奈・高遠頼継攻め、天文十二(1543)年の佐久・大井貞清攻め、天文十九(1550)年の小笠原長時の林城攻撃、同年の村上義清牽制、天文二十(1551)年の真田幸隆による砥石城乗っ取りの後方支援、佐久の反武田残党平定戦、天文二十二(1553)年の村上義清が籠る塩田城攻略戦など、たびたび若神子城を経由している。
上田原古戦場リンク
天文十七(1548)年、信玄は諏訪、大門峠を経て進軍し上田原に陣を敷いた村上義清と合戦をし重臣板垣を失うなどの痛手をこうむった。
小田井原古戦場・志賀城リンク
天文十六(1547)年七月、信玄は佐久で唯一抵抗する笠原新三郎清繁の志賀城を攻めるために侵攻、応援に駆けつけた上杉軍と小田井原で対峙、これに打ち勝って志賀城を攻略した。
海津城リンク
上杉との戦いのため山本勘助に築城させた。
妻女山〔リンク
世に言う川中島合戦の時に上杉謙信が陣を敷いた。
川中島八幡原古戦場リンク
川中島での5度にわたる上杉謙信との戦いのうち大激戦となった4回目の合戦場。別働隊に陣を敷いた妻女山の上杉軍を夜陰に乗じて奇襲させるという、信玄が採ったきつつき作戦の裏をかいた兼信の作戦で、あわやというところまで、信玄を追い詰めた有名な川中島合戦の場。


トップページ
風林火山歴史探訪
信玄の領土変遷とそれを取り巻く環境
信玄の隠し湯と金山
棒道
山本勘助由来の地